誰も見てない安心感

誰も見てない文章を書きたいのだ。ただの独り言。深夜の静寂とホワイトノイズだけの世界とか、森の中でひとり歩く木葉の音とか、森にひとりでなんて行かないんだけど、そういうこと。どういうこと?なんの役にも立たなくて、ただの文字の羅列であって、意味なんてひとつもなくて、日記ですらない。だから誰も見ないしわたしだって読み返すかもわからない。世界はわからないで満ちている。未知は好きだ。基本的にインターネットがわたしの外部なのだけど。それか本。本があればどこかへ行ける、ような気がする。本を読んで妄想した情景と、過去の曖昧な実体験の記憶にどんな違いがあるのだろう。現実逃避の成れの果て?現実も虚構も混ざりあって溶けていって、いつか何もわからなくなりたい。というのは嘘。こうやって思い浮かぶままに文字を連ねていくのは楽しい。誰にも見せないつもりだからこそ書ける思考の散らかった文章もどき。

困ってなくて困っている

普通なら困るらしいことに困らない、ということに困っている。ゲシュタルトが崩壊しそうな文章だ。そもそも困るっていう感情があまりよくわからない。困るってなんだろう。

外に出なくても困らない

外出しなくても困らない。Amazonもネットスーパーも使える。Uber eatsも使える。本当は働きに行かねばならないのだが。親が甘いし困らないのでおうちライフを満喫していたら引きこもりになった。なんでだろう。謎。

人と会わなくても困らない

人と会って交流することでストレスを解消したりする人種がいるらしい。私は一人になれないとストレス爆発するので真逆の存在である。確かにたまには人と交流しないといろいろ終わる気はする。実際ほとんど終わっている。それでも一人の時間が好きすぎる。

『困れよ』という圧

おそらく私よりも親の方が困っている。私にも困ってほしいのかなと、軽い圧を感じるようになったからだ。それでもやはり全部が他人事みたいで私は困らない。そうして困らないことに困ることになるのだ。人間って難しい。

詩のようなもの

1

なんか書きたい、何を書こう、何もない、何もなくてとっても素敵な僕の心を引き裂いて、肩まで浸かってもうすぐ溺れてしまいますか、明日を賭けて戦いますか、冬が歪んで手をぬるま湯に浸して、その後凍ることは目に見えていたでしょう、なんて全部、全部が遙か塔の上

2

掘り起こしたくないエピソードを脳の隅っこに匿って閉じ込めてもう二度と出てこないでって思うのにふとした瞬間に開けたくなるのはただ書きたいからだ、そのエピソードについてではなく他の何かを書きたいからだ、古傷から溢れるのは言葉であり血は流れない、だから明日も生きるんだろう

3

オフラインに溜まっていく文字の羅列、濁った池の底に転がる石ころみたいだ、石ころをどうするかは私の勝手、愛でるか投げ捨てるか、どちらでも私は構わないって言う、自由、だから、みんな好きなように書いて生きてほしい

歯は磨くべきなんだろうなあ

歯磨きができない

よく歯は大事にするべきといった文言を見るけれど歯磨きができない。外に出る前には磨くのだが、外に出ないので磨かない。口の中が気持ち悪い、とも思わない。いや多少は思うかもしれないが、ほとんど気にならないので何か感覚が終わっている。

脆すぎる『習慣づけ』

昔は朝晩の2回は必ず磨いていた。学校なり職場なりに行っていたからだろう。記憶のある20年とか?は歯磨きをしていたので習慣づいていると思っていた、がその考えは脆すぎたようだ。しかし私にも習慣になっていることがある。外から帰ったあとの手洗いとうがいだ。こればかりはやらないと気持ち悪い。手洗いうがいと歯磨き、どこで差がついたのか?

こればかりはなぜできないのかわからない

いろいろ出来ないことのある人間なのは自覚しているが、歯磨きがなぜできないのかはわりとよくわからない。習慣になり損ねた歯磨き。いつか歯医者に行かないとなあ、と書いてみるけど絶対行かないだろうなあ。ある種の諦めが心を支配している。自分のことなのに他人事に感じる。これはあらゆる事象に当てはまる。だからどうとかは何もないんだけどね。

食事ってめんどくさい

お腹が空いたら普通に食べるのだけど、『食事』とは毛色が違う気がしている。私の場合は必要エネルギーの摂取というか、自分に餌を与えているというか。まあ一人暮らしだから誰かと話すわけでもないし、誰が見るわけでもないので気にしない。

自炊ブームは5年ぐらいに1回

一人暮らし歴10年前後で自炊ブームが2回ほどあった気がする。ブームが来たときは自炊レシピ本を読んだり調味料を買いあさったりしたものだが、まあ続かない。調味料は使い切る前に自炊ブームが終わり、毎回賞味期限切れでゴミになった。レシピ本も売り払った。もともと料理に興味がないので謎のブームだったし、いろいろと無駄になるのでもう二度と自炊はしないと決めたのだけど、それはそれで茨の道すぎる。

食事自体に興味がない

『食事』というものに興味がない。例えば友人と食事をする場合(昔の話である)は、友人との会話が目的であるし、『食』自体は場面設定だと思っている。頭がポンコツなので会話に脳のリソースをさきながら、食べているものが美味しいかどうかなんて考えられない。食べたいものがあるときは、それだけに集中できる場面設定をする必要がある。ここ数年で特に食べたいものもなくなったので、『食事』はどんどん離れていく。

完全食の飽き問題

一時期栄養面も考えて完全食にハマったこともあるが、味変も含めて完全に飽きてやめた。プロテインみたいな粉を溶かして飲むタイプで、確かに栄養面については良かったと思う。価格もコンビニでご飯を買うくらいのお値段だったので、栄養を考えるなら良かったのだ。ただ単純に飲み心地に飽きたのと、宅配の受け取り&ダンボールの解体がめんどくさいのでやめた。

まとめ

適度に安くて、調理がめんどくさくなくて、保存がきく、そんな食べ物はないかと私が導き出した結論は『冷凍パスタ』である。よくネットスーパーでまとめ買いしていた。味に飽きたら唐辛子パウダーで辛くしている。辛いものが食べやすいのは何故なのだろうか。